人の頚椎、首の骨は通常7つ。胸椎12個、腰椎5個、仙骨、尾骨は進化の過程で繋がり、1個ずつ。
でも、私は首の骨が生まれつき、9つもある!
その分、胸椎と腰椎17個のところ、15個しかない。
おまけに、脊柱側わん症(背骨が横に歪んでしまう疾患)で、首や腰にはヘルニア予備軍の椎間板3つずつ。
こんなハンデだらけだど、人間ってすごい。ヨガはすごい。
エアロビクスからヨガに転向したところ、腰痛がひどく、コブラのポーズに代表されるような、反り系(後屈系)のポーズはぜ~んぶ、NG。
頭だちのポーズ(三点倒立、シルシャアーサナ)では、何度もヘルニアの症状が悪化して、首が動かなくなり、医者には、”自殺行為。インストラクターとして食べていきたいなら、絶対に辞めなさい”と宣告された。
でも、でも・・・・!
人間、諦めなければ、必ず、変われるんです。
持って生まれた力が、潜在能力が誰でも備わっているんです。
どんなマイナスからの出発でも、諦めさえしなければ、必ず、向上・前進するんです!!
背骨の数が少ない分、アイススケーターやバレリーナのような美しい反りまではいけなくても、胸や喉元、身体の前面が、少しでも
開くようになると、なんと、気持ちまで広く、明るくなることでしょうか!・・・・ポジティブになれることでしょうか!
30代半ばで、うつ病を発症し、完全に克服するのに、4,5年掛かりましが、ヨガやフィットネスを通じ、姿勢が良くなったり、体力がついたり、柔軟性や筋力がついたことは、間違いなく、精神的にもよい影響をもたらし、そして、私の生き方そのものを変えていきました。
長年の猫背が解消し、胸が開けば、心は明るくなるし、体力がつけば、試練や逆境に強くなり、少々落ち込んでも復活も早い。
柔軟性はそのまま、主観にとらわれず、物事の捉え方を柔軟にし、筋力がついて、体幹=軸が整うと、信念を貫き、ぶれない生き方へとつながっていくのです。
弱くて不安定な心を、意思だけでコントロールするのは難しく、瞑想ばかりしていても、幸せにはなれないと、古代のヨガの修行者たちは長い瞑想経験の中で、気がつきました。
だから、強い心身を養うために、たくさんのポーズを編み出してきました。
本能に生きている動物たちのほうが、煩悩だらけの人間より幸せそうだな~と動物を真似たポーズをつくり、自然の美しさと自然のもたらすパワー・エネルギーに畏敬の念をもち、感嘆しては、自然界をちなんだポーズもたくさん、つくりました。
ポーズ自体は、伝統的なヨガの思想では、大きく分けると、①心と身体をリラックスするためのもの ②瞑想のための座法 ③心身鍛錬の修行的なものと3つに分かれるのですが、これらはすべて、私たちの人生や日々の生活につながります。
人生も山あり、谷あり。休む時もあれば、頑張るときもある。愛するひとと寄り添い、幸福に満ちた平穏なときもある。
でも、必要以上に、困難に落ち込まず、幸せにも執着せず、刻一刻と移り変わる感情に流されず、終わることのない欲望だけを追いかけないことが、ハッピーになるための近道。
ポーズも出来なくても、ひとと比べて落ち込んだり自分を否定することはないし、昨日はもっとできたのにと、成功に執着する必要もないし、痛みを我慢して、自分を痛めつけてまで、頑張る必要はないし、これらの際の心の移り変わりにも囚われることもない。
どんな小さな体験も、そこには成長に至るための学びと経験でしかないし、だったら、無いものや出来ないことに目を向けるのではなく、感謝しかない。今この瞬間だって、窓の外を、羨ましく眺めている何年も病室暮らしのの人だっているかもしれない。
愛する家族を残して、この世を旅立たなくてはいけないひともいるかもしれない。
人間だから、悩みがあって当たり前だし、人生に問題があって当然。
足りないものばかり見ていても、永遠に幸せになれない。
だって、人間である限り、欲望が次から次へと湧き起るのは自然だもの。
でも、本当はそうして、なかなか執着を手放せない未熟な自分や、悩みや問題があること自体、今、ここに命があり、生かされている証。
それだけで、素晴らしい。
大きな試練の渦中にいるときは、苦しくて、そんな風にはなかなか思えないかもしれないけど、大丈夫。
暗いトンネルは永遠に続くように思えても、必ず、出口があるから。
そして、出口は入口より、もっと明るくて、広くて、輝いている世界が待っているから。
一見、不幸や不運に見えても、その経験こそが自分をもっと強く優しく成長させてくれるんだ。
だから、何にも怖がらなくても大丈夫。焦らなくても大丈夫。
すでに、自分がここにいるだけで、かえがえなく、意味があり、そして、私たちは皆、成長にしか向かっていないから。
自分のペースで、自分だけの道でいい。
この世のものとは思えない美しい、人生という山の頂上へ至る道は人それぞれ。
誰かの後を追わなくてもいい。自分だけの生き方、道を歩めば。
高みに登れば登るほど、視界が変わり、違った世界が広がるように、困難でも諦めずに歩めば歩むほど、私たちはもっと、自分という
人間や他者、物事に対する理解力を高め、智慧を身に付け、強く柔軟にぶれなくなっていく。
そして、人よりちょっとだけ、今生、早く歩んだ人は、たくさんの人が通る大きな道には、道標をつけてあげよう。
先人たちがそうしてくれたように・・・・。
あとは大きな道は見失わず、大いに寄り道をして、花や木々を眺め、動物たちと戯れ、新鮮な空気を吸い、小川のほとりで休み、
仲間がいたら、仲間たちとの交流やおしゃべりを楽しんで、互いに疲れたら、荷物を持ってあげよう。
大好きなおやつがあったら、“ここぞ!”というときに独り占めしないで、目の前のその人と分かち合おう。
人生は素晴らしい!
生きている、っていいですネ。