ヨガの八支則とは?  Ashtanga


ヨガの教えには、アシュタンガ=八支則(はっしそく)という8つの段階・行法があります。

ヨガの聖典、聖者パタンジャリが説いた「ヨーガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えになります。

その中でも、 「ヤマ」・「ニヤマ」は、日々の社会的・個人的行動規範となり、もっとも基本的かつ実践するのが難しいとも言える教えとなります。本場インドのアシュラムでは、「ヤマ」、「ニヤマ」を実践できなければ、アーサナ(ポーズ)の練習をするスタート地点にさえ立ってない、とされる。

 

①ヤマ(Yama)/禁戒  日常生活で行なってはいけない5つの心得。


●アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
 いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。

 誰に対しても怒りを抱かないこと。もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる。


●サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと
  自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。

 その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。

  嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければなりません。


●アスティヤ(Asteya)/不盗
 他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。

 自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようというエゴが生まれる。

 約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んでいることとされ、

 アスティヤ(不盗)に反します。

 物やお金、地位、名声など、常に変化し続ける外の世界には真の幸福はありません。

 どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出さえも、執着しない状態でいることが一つの鍵です。


●ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
 もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。

 現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避ける こととされている。

 生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。


●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
 貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。

 程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えることでもあります。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと

 嫉妬を生みます。

 アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります。

 

②ニヤマ(Niyama)/勧戒   日常生活で実践すべき5つの行い。


●シャウチャ(Saucha)/清浄
 自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと。

 身の回りの空間をに清潔に保つことも含まれる。心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。

 慈悲喜捨の精神。

 不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬するのではなく敬う。受け入れ難いひとがいたら、

 攻撃するのではなく、距離を置き、反面教師として自分の精進にする。


●サントーシャ(Santosha)/満足、知足
 今あるものに、常に満足すること。自分の周りにあるもの(環境、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべて)

 ヨガの基本的な思想の一つは因果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考える。

 なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。

 そして、今、どんなに苦しく思える状況でさえも、実は何か成長のためのステップアップの機会かもしれず、今そこに何かしらの判断を加える

 ことは無意味である。人は身の回りのものごとは当たり前だと思い感謝を忘れ、無くしてみて初めてそれが、かけがえのないものだったことに

 気が付く。健康も愛する人の存在も同様に。

 また、人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求める限り、真の幸福は見つからない。

 自分自身で、今あることに感謝をし満足することが真の幸福への近道だ。


●タパス(Tapas)/苦行、自制
 精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる

 強さを培うこと。

   ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力」に反する。

 どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践する。


●スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心
 心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。

 自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを 意味しています。


●イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰
 唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げること。 

   自らに備わっている神性を信じること。

 万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。

 自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。

 

③アーサナ(Asana)/坐法

  瞑想を深めるための座法。もともとは単なるポーズではなく、瞑想を行なうための姿勢や道具を指すアースが語源である。

  様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくる。また、心と体はつながっているので、身体能力の向上は、

  心の調整にもつながる。

    ポーズは、安定していること、快適であることが理想形。そして、冷静かつ客観的に、自分の身体感覚や心の状態を観察し、他者と自分を比べた

    り判断することなく、こだわりをなくし、その空間と一つとなる ような感覚で集中していく。
 

④プラーナヤーマ(Pranayama)/呼吸法・調気法

   瞑想を深めるために呼吸を整えること。「プラーナ」は生命エネルギーのこと。「プラーナヤーマ」は、呼吸をコントロールすることによって、

   体内の見えないエネルギーを調整することを指す。呼吸と心と体の状態はつながっていて、呼吸が落ち着いて安定してれば心も穏やかで、

   体はリラックスする。呼吸のもうひとつの目的は、血液や脳により酸素や影響を与えること。

 理想的に呼吸を深めていくためには、正しい姿勢を心がけることが必要。つまりアーサナの実践を通じ、身体を鍛錬することが必要になる。

 

⑤プラティヤハーラ(Pratyahara)/感覚の制御

  感覚への意識を深め、繊細に感じること。外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づけ、内的感覚を高める。

    感覚を内側に向ける練習をしなければ、瞑想の境地に到達することはできない。感覚に意識を向け続ける。

    アーサナを実践していても、決して、感覚を我慢したり抑えつけたりするのではなく、それを感じている自分を常に冷静・客観視していく。

    これは、日々起きてくる様々な出来事や問題に、感情を振り回されるのではなく、何が起ころうともブレない自分を作る精神の鍛錬につながって

    いく。

この先の「ダーラナ」「ディアーナ」「サマーディ」の3段階は、区切りの付けられない一連の心の流れとなる。

それぞれ、瞑想状態の深さの程度が異なります。

 

⑥ダーラナ(Dharana)/集中・精神統一

 意識を特定の対象物に長時間留めておくこと。心が集中すればするほど、一点に向かう大きなパワーが生まれます。

 

⑦ディアナ(Dhyana)/瞑想

  仏教の〈禅〉は、サンスクリット語で〈瞑想)を意味する、このDhyanaが語源だ。意識が積極的な努力なしに一方向に深く集中している状態。

    プラティヤハーラ(感覚制御)とダーラナ(集中)が深まっている状態。自分と他を分け隔てなくなった意識の状態。

    雑念から解放された無我の境地。

 

⑧サマーディ(Samadhi)/三昧、超意識、悟り

 ヨガの最終目標。悟り。梵我一如。煩悩からの解放。解脱。

 瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。

   瞑想の状態をかなり長い時間維持できるようになったらサマーディの状態に入ります。